我が家の妹は、それはもう可愛い。
確かに身内の贔屓目に見ても、ドジだし泣き虫だし食いしん坊だし、女として気まずいくらい凹凸のない子だけれど、やはり姉としてはそんな妹が可愛くてたまらないのだ。
出来の悪い子ほど可愛い、という言葉が昔からあるけれど、このフレーズを考え付いた奴は天才に違いない。
さておき。
そんなに可愛い妹なのだから、姉としては出来得る限りの事をしてやりたいとは思う。幸いにして我々姉妹は自分で言うのもなんだが仲がよいから、そういう交流には事欠かない。
「お〜ね〜え〜ぢゃ〜ん〜」
ほら、今夜も。
高峰明美のスタイル。
妹の沙希が、涙混じりに部屋に入ってきた。よくある事だ。我が家では三番目くらいによくある事だ。溜息一つついて、私は椅子を回転させて沙希に向き直った。
「どうしたの」
「あのね、あのね」
大慌てという様子を隠さずに、沙希は短く言葉を連射しようとする。その両手にはノートと教科書。後生大事に胸に抱えている。
「あー、ちょっと待って。当ててあげる。交換日記の申し込み」
「明日までの宿題が終わらないの〜」
「……あんた、昔っから人のボケを聞かないわよね〜」
妹の下腹部をつまんでみる。とても柔らかく、女の子としてはもう少し掴める面積が少ない方がいいんじゃないかと思った。
「あのね、これがね」
人の話も聞かずに私の机に教科書を広げる。折り目がついたそのページは数字とアルファベットが羅列されている。一目見て、数学だと分かった。しかも微積のようだ。
「あんた、解析ができないのね」
なるほど、沙希ができないのも頷ける。高校生がそろそろつまづき始める分野だった。
「うう、お姉ちゃん助けて〜」
「明日、誰かに写させてもらうわけにはいかないの? 聖とか」
姉としてはどうかと思うけれど、一番確実なのは確かだ。確実すぎてゲームとしての面白みに欠けるが。いや、どこの連邦軍少佐だ。
「ひじりんがね、写させてくれないの。『自分でやらなきゃ意味ないじゃんか。サッキーはやればできるんだから』って」
「……へえ」
妹の声真似は似ていなかったが、聖の台詞ではあるようだ。
それを聞いて、私は安心していた。
友達なんだから、宿題の写しなんてのはいくらでもできる事だ。でも、それでは本人の為にはならない。沙希は自分の事を考えてくれる友人がちゃんとできているようだ。
妹は典型的な、「やればできるけれどやらない子」だった。もう少し言えば、「やればできるけれど、やり始めるのが極端に遅い子」だ。沙希は最初に足を踏み出すのが時間を労しすぎる。だから夏休みの課題なんかは毎年最終日に大慌てだし、今日この時だって入浴してさあ寝ようという時分になってから、こうして私を頼る。
そういう沙希の性格を、聖はきちんと把握してくれているようだ。安易に写しに走らせても、それはその場限り。試験の時に泣きを見るに決まっている。
それは本来、聖には関係のない事のはずだ。でも、彼女は沙希のこれからを考えて、自分でやらせようと配慮してくれたのだろう。聖は本当にいい子だ。姉とは大違い。
しかし、その役目は本当はよそ様のお嬢さんではなくて、私が担うべきだ。姉としての面目もある。
「いいわよ、見てあげる。座りなさいな」
「わあ! お姉ちゃん大好き〜」
「見てあげるだけ。解くのはあんたがやんのよ」
「ええええ」
「自分で理解しなきゃ意味ないでしょ。ほら、分からなきゃ教えてはあげるから、まずシャープペン持ちなさい」
「ううう〜」
涙混じりに、それでも沙希は私の机に座る。
ああ、泣き顔も可愛いなぁ。
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「何とか日が変わる前には終わったけどね」
目の前の友人兼ご主人様に報告する。
「サッキーは相変わらずだねー」
あんたもな、と正面の友人、篠沢舞に言いかけて口をつぐむ。舞の頭には大きなたんこぶが見て取れた。これはいつもの、姉妹間の円滑な会話の為の身体的犠牲という奴だろう。これを相変わらずと言わずして何を言う。
私と沙希の間では想像もできないような過酷な現実が、篠沢姉妹の間には横たわっているらしい。つい最近、篠沢家にお邪魔したら玄関のツッコミ立てに真槍が立ててあって超びびった。とうとう聖は長物に手を出したらしい。
まあ、それはそれとして。
「正直、聖には感謝してるわ。うちの妹を見捨てないでいてくれて。あの子、ほっとけば典型的な駄目人間だし」
「……にゅふふふ」
舞が口元に手を当てて、嫌な含み笑いを漏らした。舞がこういういやらしい笑い方をする時は、大抵ろくな事を考えてはいない。
「何よ」
「んー? 明美はサキ助の事を本当に愛してますなぁと」
「……そうねぇ。どこかの姉妹と違って、我が家はお互い信頼関係で結ばれてるからねぇ」
「ぐ……」
言葉に詰まる舞。切り返されるのが分かっているだろうに、舞はいつもガードが甘すぎる。
「まあ、あんたも妹に慕われたかったら真面目に一生懸命生きなさいって事よ」
「うーん……慕われるってのはちょい違うんよねー。何て言うか、痛いのも気持ちいいって感じ?」
「このドMめ……」
「でもでも、明美はどうなの?」
「何に対して、どう、と?」
「こう、サキ助に対して催すものはないの?」
「……は?」
「私はほら、ひーちゃんを激マジにラヴってるわけよ。もちろん、性的な意味で。明美は、サキ助にそういう感情は抱かないのかなって」
何だか雲行きが怪しくなってきた。
舞は両手をわきわきと蠢かせて、口の端を歪めて好事家の笑みを浮かべている。正直、このまま顔面にパンチを入れたくはなった。
「あんたじゃあるまいし」
「またまた。ほんとは心の中で思ってるんじゃないのー。サキ助を手篭めにしたいとか、あのガラスの切断面より滑らかなおっぱいを愛でたいとか」
「あのね……」
「私はさ、世の中にプラトニックな愛は存在しないと思うわけよ。突き詰めればヤリたいにぶち当たるんじゃないかなーって。それは異性愛とか家族愛とか関係なしに」
こいつ、今のうちに警察に通報した方がいいんじゃないだろうか。
「生憎だけど、私ゃそんな」
「本当にそう? 本当に? 本当に? サキ助を自分だけのものにしたいとは思わんの?」
「…………」
そりゃ、少しは思わなくもない。できる事なら、沙希の姉という立場をいつまでもエンドレスに続けていたくはある。でも同時に、そんな事なんてできないのも分かっていた。
「物は試しって言うしー。一回、サキ助に夜這いでもかましてみりゃしゃんせ。きっと私の気持ちも分かるだろうから!」
「……アホかい」
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「……何で私、こんな事してんのかしら」
そろそろ日付が変わろうとしている頃合い。
私は可能な限り音を立てずに、抜き足差し足忍び足で廊下を渡っていた。視界がゼロの現状では、肉眼は信用できない。長年染み付いた身体の習性を頼りに、スニーキングを続行する。
目指すは、妹の部屋。とは言え、すぐ隣なのではあるが。
昼間、舞に言われた事。
――サキ助を自分だけのものにしたいとは思わんの?
まあ、その、何だ。
一応、周囲ではネタ師という目で見られてはいるわけだし、私もこれくらいはやってみせないと。
べ、別に夜這いがしたいからやってるんじゃないんだからねっ!
誰とも知らぬ方向に媚びてみる。
それはともかく。
沙希の部屋の前まで来た。
恐る恐る、ドアノブを捻ってみる。
かちゃり。
何の抵抗もなく、ノブが半回転した。無用心だった。いくら玄関自体に施錠がされているとはいえ、室内に賊が侵入しない可能性はないのだ。
まあ、今回の賊は実の姉なのではあるが。
気を取り直して、沙希の部屋に侵入する。
チ、チ、チ、と壁掛け時計が秒を刻む音。耳鳴りにも似た静寂の中で、沙希のものであろう寝息が規則正しく聞こえてくる。それを頼りに、私はそちらの方向にすり足で移動した。
「……ぉーぃ、さきー」
蚊の鳴くような声で、呼びかけてみる。
「……くー……くー……」
しかし、寝息以外の応答がない。ふう、と一息ついて、私はゆっくりと掛け布団をめくった。
「……お邪魔しますよ〜」
素早く潜り込む。入浴後に間もなく寝たせいか、沙希の布団は温もりに満ちていた。
目の前には、暗闇の中でぼんやりと浮かぶ妹の寝顔。定期的に動く唇が、何だか妙に艶かしい。そんな沙希を見ていると、胸の奥でムラムラっと来るものがあった。
まずい。
まずいなぁ。
私は舞とは違うと思っていたのに。
いざこうして妹に吐息がかかる距離まで接近してみると、こう……
ゆっくりと、顔を近付ける。
一時的接触まで、あと数センチ。
数センチ? その後、どうする?
1.触れ合うだけの
2.粘膜同士で
3.殺してでも
「……ん……おねえちゃん……?」
びく、と全身が震えた。すう、と熱が引くような感覚。今まさに唇と唇がごっつんこしようかという時に、沙希が目を覚ましたのだった。
「……おはよ、サキ」
とりあえず平静を装ってみる。
「ん……なんで、おねえちゃん……?」
「あんたが寝ぼけて私のベッドに潜り込んできたのよ」
「あ……そっか……ごめんね……」
ああ、おバカでよかった。姉としてはとても心配ではあるけれど、とりあえず助かったというところだ。
ここで沙希に出て行かれては、私が夜這いに来た事がばれてしまう。
「もういいから、今日はここで寝なさいな」
なので、優しい姉を装ってみた。
「……ふぁ……うん……ありがと……えへへ」
「何よ、にやにやして」
「うん……お姉ちゃんと一緒に寝るのも久しぶりだなって」
きゅ、と。
沙希が、身体を寄せて抱きついてきた。鼻腔をくすぐる、髪の匂い。同じシャンプーを使っているはずなのに、なぜか自分とは違った甘い香りだ。
「……あんたも高校生なんだし、あまり嬉しそうにするんじゃないわよ」
「……えへへ」
「ほら、いいからもう寝なさい。明日も学校なんだから」
「うん……おやすみ、お姉ちゃん……」
頭を優しく撫でてやると、沙希は気持ちよさそうに目を閉じた。そうして、数分と経たずに再び寝息を立て始める。
「……何だかね」
妹を起こさないくらいの小さな溜め息をつく。
何だか、すっかり毒気を抜かれてしまった気がする。いや、最初から毒があったのかは別として。
ふと、思い出してみる。
小さい頃の沙希は本当にお姉ちゃん子で、何をするにしても私の後を付いて回っていた記憶がある。その時の沙希の笑顔は本当に純粋で、姉に全幅の信頼を置いている様子が窺えた。
私は沙希の笑顔が好きだ。
困った顔ももちろん好きだ。
色んな表情が全部好きだ。
だからそんな沙希を見続ける為に、私はいつまでも沙希にとって側にいたい姉でいよう。子供心にそう思ったものだった。
「……そんな事もあったなぁ」
思い出してしまったなぁ。
やっぱり、舞とは欲望を共有できそうにもない。
沙希は妹で、私は姉で。
高峰姉妹は、もうすでにそれで完成しているのだから。
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「まあ、そんなわけで失敗というか」
「にゅふふ。惜しいねぇ。もう少し上手く立ち回れば、サキ助を自分だけのモノにできたのにねぇ」
「……そこなのよ。何か違和感あったなーって思ったけど、最初からそこが違ったのよね」
「え?」
「うん。だって――サキはずっと前から私だけのモノだから」